SNS で消防の救命講習の限界について話題になっていました。
最近はやってませんが、以前はBLS横浜でも横浜市消防長公認の普通救命講習を公募で開催していたことがあります。
消防長の公印が入ったプラスチック製の立派な修了証が発行されて受講者満足度はなかなか高いのですが、受講対象はあくまでも家族を助けたいという人と善意の救護を前提とした人向け。学校の先生やスポーツ施設職員などからの申込みはお断りしていました。
救命法普及の媒体として消防の講習を活用しつつも、その特性や限界点を踏まえて、BLS横浜では各種講習プログラムを使い分けています。また既存のプログラムで適切なものがない場合は、オリジナル研修プログラムを作成し、提供しています。
国会議員向けに作成した提言書
そんな俯瞰的な立場で講習展開を試行錯誤してきたBLS横浜ですが、消防救命講習の活用について提言書を作成したことがあります。
救命法の普及に関心を寄せているとある国会議員の方にプレゼンする資料として作成した文書のドラフトになります。
一般市民向けの普及啓発プログラムとしての有効性は前提とし、その受講対象が拡大された場合に起きうる問題点を中心に記述しています。
消防吏員の方々、また応急手当普及員、応急手当指導員の方たちの講習展開の上で参考になりますと幸いです。
また日頃、消防に救命講習を依頼している小学校や保育園、介護施設などの方は、講習の中身、ニーズとのマッチングという点でご覧いただけたらと思います。
総務省消防庁 救命講習(I〜III)の限界と課題
問題点 1 救助者の注意義務という視点がない
国内で最も広く開催されている普通救命講習Iは、成人傷病者を前提とした「住民への普及啓発」の心肺蘇生法普及プログラムであり、一般市民による善意の応急救護活動を促進するために、消防機関によって実施されている。
その内容は「法的に義務のない第三者」による救護が前提であり、JRC蘇生ガイドライン(2015)で述べられているような「悪意や重過失がなければ(中略)責任を問われることはない」立場を想定して、各自治体消防本部単位で展開されている。
国内で最も多く開催されている普通救命講習Iは、180分の全カリキュラムに参加すれば消防長名で修了証が発行される。効果測定に相当する実技試験や筆記試験は行われない。つまり、講習の教育デザインとしては「できる」ようになることまでは保証されていない。
一方、学校やスポーツ現場での事故対応では、救命処置の是非と責任を問う民事訴訟は決して珍しくなく、過失ありと判断された判例も多い。JRC蘇生ガイドラインでいうところの「法的に義務のない第三者」ではないからであり、任意性はなく、業務中の対応には注意義務が発生するのは当然と言える。
このことから、普通救命講習Iは、注意義務を持って救命処置にあたる立場の職業人向けの研修としては、以下の点から適当ではないと考えられる。
1.練習量が少ない
2.緊張感が希薄
3.リアリティがない
4.知識・技能の評価・補習がない総務省消防庁の救命講習群はすべて「住民に対する普及啓発」のためのものであり、注意義務を含めた業務トレーニング(職業訓練)ではない。
学校教職員や福祉職員、スポーツ指導員等、救命処置に関して注意義務が課されている立場の職業人が、これら善意の救護(すなわち責任を問われない前提)のプログラムに参加することで、自身の立場と責任を自覚できずに、適切な行動ができないことが危惧される。
問題点 2 成人蘇生と小児蘇生が区別が希薄になっている
2010年のJRC蘇生ガイドライン改定により、市民向けの蘇生カリキュラムから呼吸原性心停止を想定した小児に特化した手順がなくなった。
「市民救助者が小児に対して心肺蘇生を行う場合は成人と共通の一次救命処置(Basic Life Support:BLS)ガイドラインに従う」ということで、小児蘇生法は成人蘇生法に吸収されることとなった。
そのため、保育園等の小児専門施設内での救命講習でも、心原性心停止を前提とする成人蘇生法に準拠し「人工呼吸は不要」と指導されているケースが散見する。
しかし、同ガイドラインでは続いて下記のように勧告している。
「ただし市民のうち小児に関わることが多い人、すなわち保護者、保育士、幼稚園・小学校・中学校教職員、ライフセーバー、スポーツ指導員などは、小児BLS(Pediatric Basic Life Support:PBLS)ガイドラインを学ぶことを奨励する。医療従事者が小児を救助する場合はPBLSに従う。」
つまり、保育士や学校教職員等、子どもと専門的に関わる職種は、前述の一般市民とは明確に分けられており、医療従事者と同じ小児に特化した救命法を学ぶこととなっている。
小学校や保育園で実施する救命講習は、総務省消防庁のカリキュラムで言えば、成人を前提とした普通救命講習Iではなく、子どもに特化した普通救命講習IIIであるべきなのだが、この点が徹底されていない。
指導員側にも、一般市民と業務対応の小児専門職とでは、指導内容が異なる点が周知されていないことも問題である。
この現状を調査したデータはないが、年間総数1,000人弱の保育園職員に対する救命講習を実施している中で、人工呼吸不要と教わったことがあるかを尋ねると、毎回1/3から半分ちかくの人が手を上げている実態がある。
また別の視点として、普通救命講習IIIは、主に子を持つ親を想定したプログラムであり、責任と注意義務という視点はない。
そのため問題1と同様、現状として、総務省消防庁の救命講習群の中では、学校教職員や保育園職員向けの蘇生教育プログラムは存在しないといえる。
問題点 3 AED使用の違法性阻却事由を考慮しない開催実態がある
AEDによる電気ショック(除細動)は医療行為であり、法解釈が整理されるまでは医師免許を持たない市民が使うことはできなかった。
2004年7月以降、反復継続の意図がないと考えられる一般市民によるAED使用は違法性はないものとされたが、救急隊員や学校教職員、福祉職員、スポーツ指導者など、業務として救護にあたる立場の人(以下一定頻度者と表記)がAEDを使う場合は4つの条件を満たす必要がある。
このことからすると、学校教職員や福祉職員は、救命処置に関しては一般市民とは区別されており、救命講習に関しては、一般市民向けより講習時間が長く、実技試験、筆記試験を課したプログラムの受講が求められている。
これが普通救命講習IIであるが、実際のところ、学校教職員向けであっても普通救命講習Iで済まされているケースが多い。この点は、各消防により取りまとめられている普通救命講習IIの開催実績を確認いただければ見えてくるはずである。
課題解決のための提言
提言 1 消防の外郭団体が業務訓練プログラムを策定・実施する
消防が住民に対して無料で救命講習を行うのは地域の公益のためであり、本来は企業が自費で行うべき業務訓練を肩代わりするものではない。
消防が、同じ自治体に属する公立小学校に教えに行くことは税金の使途という点では許容されても、私立の学校や私企業が運営する保育所に行って無償で指導することは適切ではない。この点、那覇市消防局のように、専門学校の授業としての救命講習は受け付けないと公示しているところもある。
公務員としての公平性を考えたときに、消防が実施するのが困難な部分は、消防の外郭団体として機能している防災協会等(東京で言えば公益財団法人東京防災救急協会等)が、総務省規定とは別の業務訓練プログラムを策定し、このニーズを担っていくことを提案する。
提言 2 NPOや市民団体、一般企業との提携、委託
消防OBで構成される外郭団体を作って救命講習を委託しているのは、東京都や横浜市、名古屋市など、規模の大きな消防本部のみであり、小規模な消防本部ではこのような運用はできていない。
その場合は、地域のNPOや市民団体、また一般企業と連携していく方向性が検討できる。
例えば、札幌市のように消防の救命講習も一般企業に委託して開催している事例があり、この運用形態を拡充させることで、総務省の規定に縛られない教育範囲の拡大を期待できる。
提言 3 普通救命講習IIの活用ないしは再編
問題点1で指摘した通り、消防が注意義務がある職業人の業務トレーニングを行うのは不適切と言えるが、当該地域に業務訓練としての救命講習を提供できる民間企業や団体がないという現状もある。
消防が対応せざるを得ないのであれば、現行の普通救命講習IIをベースにして、そこに救助者の責任や、現場実践のためシミュレーション等を加味した内容にアレンジし、普通救命講習Iとは別の業務対応訓練として展開していくことを提案する。
普通救命講習IIは、もともと業務対応者向けの救命講習のように思えるが、これは医師法が規制する「反復継続の意図」を持ってAEDを使う場合の違法性を阻却するためだけのもので、救命処置に関する注意義務や責任を盛り込んだものではない。
実際の運用例を聞く限り、普通救命講習IとIIの違いは、筆記試験、実技試験の有無によって時間が違うというだけの差異しか設けられていないところが多い。
蘇生ガイドライン2010で指摘されたように、現場で心肺蘇生を実践できなかった最大の要因は「パニックになった」というものである。
例えば平成28年に起きた大分県の特別支援学校で起きたうつ伏せならびに出血を伴う心停止事故の報告書では、傷病者の様々な体勢を想定した訓練が必要であった点などが指摘されている。
型通りの動作をこなす練習だけを繰り返しても現場では使えないという点は各方面から指摘されているところである。
そこで、業務対応者向けトレーニングでは、パニック対応のトレーニングとなりうる、ややイレギュラーな状態を再現したシミュレーション訓練を含めることことは有用と考えられる。
また現場で混乱の原因となりやすい複数人での役割分担と連携を考えさせるシナリオトレーニングを含めた実践訓練に再構築していくことを提案する。