解説|人工呼吸をしない蘇生法定着の弊害 子どもの命に悪影響

先日、発表されてすぐに 速報 でお伝えした岡山大学の論文のことが日本国内でも報道され始めました。

心臓マッサージだけで人工呼吸をしなかったことで、2年間に約20名の助けられなかった命があった、という解析結果。

子どもへの人工呼吸 コロナ禍で減少 救命に影響|蘇生時の人工呼吸が敬遠、小児の救命に影響…岡山大

胸骨圧迫のみの心肺蘇生を受けた子どものうち、2年間で21.3人(年間10.7人)が多く死亡した可能性

人工呼吸は不要と信じた人が多かった結果

コロナ前からではありますが、「人工呼吸はしなくていい」という話をよく聞くようになりました。

どこかの誰かが言っていたという噂話もあれば、救命講習で指導員がそのように教えていたというケースもあったようで、コロナ禍をきっかけに「人工呼吸は不要、しないほうがいい」というくらいにまでに話が盛られることとなりました。

その結果、子どもの救命率が有意に下がってしまった、という話です。

論文の内容は「人工呼吸なしのCPR普及で子どもの「死亡率」が上がった|日本の最新論文から」に書きましたので、ここではその背景事情をもう少し詳しく解説します。

まずは要点を箇条書きにすると、

・大人と子どもは心停止の原因が違うため蘇生法の重点が違う
・救命法の裾野を広げるための簡略化の弊害が目立ってきた
・人工呼吸省略による小児救命の不利益が明らかになった

子どもの心停止のしくみと人工呼吸の必要性

心臓突然死が多い大人と違い、子どもの心停止の原因は呼吸のトラブルというのは、昔から変わらない蘇生科学の常識です。(医療従事者や救命法指導員なら知っているはずの話なのですが…)

子どもや溺水、窒息からの心停止のしくみ呼吸原性心停止

息ができなくなると、酸素を大量消費している脳が酸欠になり気を失います。この時点ではまだ心臓は動いています。しかし、心臓の細胞も酸素不足で弱っていき、心拍数が下がっていきます。

仮に、普段は80回/分ある心拍数が、10回/分まで下がってきたら、、、

心臓は動いていても有効な血圧を出せずに、脈が触れない状態。ここが心停止の始まり。無脈性電気活動(PEA)といいます。そして最後は心拍数ゼロで、心静止という状態に陥ります。

そんな状態の人に心臓マッサージ(胸骨圧迫)だけをしても、血液中に酸素は残っていないので、脳や心臓に酸素を送り込むことができないため、蘇生効果はあまり期待できません。

そこで、血液に酸素を溶け込ませるための人工呼吸を組み合わせることが必要なのです。

子どもの心停止の発見が早ければ、「心停止状態」であっても、まだゆっくりでも心臓が動いている可能性があります(心停止の一種、無脈性電気活動状態)。

そこに人工呼吸で酸素を血液に溶け込ませて、胸骨圧迫で血液循環を促してやれば、弱っていた心筋細胞に酸素が供給されて、心拍数が早くなってくることが期待できます。

つまり、子どもの心停止や、窒息/溺水などの低酸素からの心停止なら、AEDを使わなくても、胸骨圧迫に加えて人工呼吸をするだけで救えてしまうかもしれないのです。

溺水(低酸素)からの救命のポイントは人工呼吸
「プールで男児溺れる 監視員が救出、搬送 千葉公園」(千葉日報2017年7月21日付)プールの底から引き上げたら、意識なし、呼吸なし。人工呼吸をしたら自発呼吸が戻ったというニュース。アメリカ心臓協会 … (see more)

コロナ渦でも、子どもには人工呼吸をするようにと勧告されていた

コロナによって蘇生法は大きく変わったと言われています。

これまでも、人工呼吸よりは胸骨圧迫を優先するということは言われていましたが、市民救助者に対しては「人工呼吸はしない」と明言されたことは歴史上初めての出来事でした。

しかし、ここで大きな勘違い、過ちが生まれ、それが子どもの命を危険にさらす事態に発展してしまいました。

コロナ対応としての救急蘇生の指針の一部だけが切り取られて流布し、マッチングミスともいうべき誤った理解が定着してしまったのです。

以下、厚労省Webからダウンロードできた、コロナ渦における市民蘇生の特別対応指針の内容です。(今はリンク切れになってます)

コロナ渦であっても、子どもの救命のためには人工呼吸もするように との指針を厚労省は出していたのです。

この事実を知っていた人はどれくらいいたでしょうか?

救命法指導員や医療従事者がこれを知らずに成人/小児を区別しないで一律に「人工呼吸をしない」と教えていたとしたら、、、、それは命に関わる重大な指導事故と言えないでしょうか?

恐らくそんな不適切な指導事故が頻発していたはずです。

というのは、BLS横浜では、コロナ前から年間5~6回ほど、厚労省事業の「保育士等キャリアアップ研修」で講師を務めており、小児蘇生やアレルギー対応の指導をしています。

1回あたり3-40園くらいの保育園から看護師や保育士が参加する研修会で、毎回聞いています。

「人工呼吸はしないと教わっている人、いる?」

すると1/3から半分近くの人が手をあげます。どこでそう教わったの? と聞くと、保育園に教えに来た救命法の指導員からと。

保育園での出張研修ですから当然小児BLS講習なのに、人工呼吸はしないと教える指導員はコロナ前から一定数はいました。

しかし、コロナ以後に顕著に増えていることを肌で感じていますし、コロナが過ぎたはずの今もそれはまったく回復していないことを実感しています。

感染リスクと子どもの命の天秤  リスクを減らす対策を本気で考える

どんな場合でも自分の身の安全が最優先ですから、感染リスクがある場合は人工呼吸はしない、という考え方は正しいです。

問題は感染リスク。

だとしたら、わが子を助ける母親には、、、関係ないですよね?

なのに、先の岡山大学の論文によれば、家族間での蘇生処置でも人工呼吸がされないケースが顕著に増えて、無用な死亡につながっていることが明らかになっています。

これは情報が正しく伝わらずに起きた悲劇的な事故とも言えます。

例)保育園職員の場合のリスクの考え方

家族なら感染は無視できるとして、その他の立場ではどう考えたらいいか、先ほど保育園の例を出しましたので、保育園職員向けにどう指導しているかをご紹介します。

感染と人工呼吸 リスクの天秤

感染リスクをゼロにしたければ、そもそも手出しをしない、現場から離れるという選択肢もあります。

町中で見知らぬ人が倒れていた場合などは、見て見ぬ振りしてスルーするというのも決して間違いではありません。

救護にあたる以上、感染以外にも心的外傷のリスクもありますので、手に負えないと思ったら「逃げる」のもひとつの手です。できれば119番通報だけでもしてくれたらとは思いますが、一切関わりたくないような記憶から消し去りたいような凄惨な現場というのもありますから。

しかし、保育園や学校で起きた心停止事故の場合、保育士や教職員は見て見ぬ振りをするわけにはいきません。

コロナ渦では胸骨圧迫だけでも飛沫感染のリスクがあると言われていたわけですから、感染リスクをゼロにするのは恐らく無理。しかし、最低限胸骨圧迫はしますよね。

加えて、子どもの救命には人工呼吸もしましょうと厚労省も言っていたわけです。人工呼吸をしたら感染リスクは高まるけど、したほうがいい。それじゃ感染対策を強化して、ゼロにはならないけど許容範囲を見つけよう、という考えることができます。

医療機器承認を受けた人工呼吸用感染防護具ポケットマスクとバッグバルブマスク

例えば、人工呼吸用の感染防護具をまったく備えていない保育園だったら、5-800円程度で買えるフェイスシールドを用意しておいて、いざというときはそれが準備でき次第、人工呼吸を始める体制にするとか。

もともとAEDにフェイスシールドが付属していたけど、それじゃ心もとないというのであれば、グレードアップして立体型のポケットマスク(3-4千円程度)を準備することができます。

ポケットマスクは医療機器承認を受けた市民向け人工呼吸器具です。(フェイスシールドは医療機器ではなく雑貨になります)

ポケットマスクだと顔を傷病者に近づけるのが不安というのであれば、バッグバルブマスク(3-4千円程度)の配備を検討することもできるかもしれません。

BLS横浜の保育士向け救命講習では、これらの感染防護具を使ってみてもらって、その使い勝手や感染に対する安心感を検討、今後保育園内でどういう方針でいくかを検討してもらっています。

つまりは、本気度の問題

このようにコロナ真っ最中でも、BLS横浜では「子どもの蘇生では人工呼吸もしっかり練習しましょう! 国もやるように言ってますよ」と指導をしてきました。

すると時々、反論めいた意見をいただくことがありました。

「絶対しろとは言ってませんよね? 技術を身に着けていて人工呼吸を行う意思がある場合、と書いてあるから、しなくてもいいんですよね?」

まあ、おっしゃるとおりです。

しかし、「人工呼吸も実施する」というのが第一義であって、しないという選択の余白は残してあるものの「しなくていい」とは決して書いていない、というのが事実です。

人工呼吸する理由も書いてありますよね?

実態として一部例外はあるものの、子どもの心停止の原因は低酸素と考えるのは、コロナ前からコロナ中も変わっていません。

人工呼吸をする意思がないというのは、どういうことかよく考えてみてください。

まあ、助からなくても仕方ないか、、、と諦められる人は、しなくていいと思います。

家族や親御さんはたぶんこれには該当しないですよね? 保育園の先生たちはどうでしょうか? 近所のこども家で預かっているときの事故だったら?

 

つまり、本気度の問題なのです。

傷病者との関係性や自分の置かれた立場状況、それらによってに最善解を決めます。

現実的には訓練を受けていないと、人工呼吸の実施は難しいですし、溺水などは嘔吐の頻度が高いので、ポケットマスクのようなちゃんとした感染防護具と手袋がないと厳しいかもしれません。

それらがなければ仕方ないというのが現実ですが、例えばプールの監視員がそれらの準備をしていないと、それは過失を問われるかもしれません。

人工呼吸はしなくていい。

そんな言説ばかりが広がって、人工呼吸の必要性を知らなければ、そもそも準備や対策もできません。

判断するのは当事者 しかし正しい知識がないと正しい判断ができない

今回の岡山大学の論文で明らかになった点として、家族からの救命処置でも人工呼吸が行われずに助けられなかったケースが目立つという点。

これはウツタイン・レジストリという総務省消防庁の統計データ解析から読み取れたことなので、情緒的な個別の情報やはまったく含まれていませんが、その家族が「子どもの救命には人工呼吸が必要」と知っていたら、その行動は変わっていたかもしれない、と想像するといたたまれない気持ちになります。

人工呼吸をしなくていい。

それは、心肺蘇生法の裾野を広げるための方策として言われ始めたこと。

しかし、それはなにもしないよりはマシという「はじめの一歩」であり、悪く言えば妥協の産物です。

日本蘇生協議会の会長が蘇生科学シンポジウムで言ってました。

「胸骨圧迫のみの蘇生法をガイドラインに採用したときは、なにもしない人を少しでも減らすためであって、標準である「胸骨圧迫+人工呼吸」の蘇生法の実施を減らしてはいけないという点は策定委員の中で確認していた。しかし、みんな易きに流れてしまい、不本意な結果になってしまった。」

AEDの市民解禁から21年。

AEDを優先して人工呼吸を遠ざける路線により、日本国内のAEDはすっかり定着し、人々の救命意識も変わりました。

これは、蘇生科学よりも実効性を優先した簡略化のおかげです。

しかし、その弊害が明らかになってきた今、そろそろ蘇生教育のスタンスを根本から見直す必要があると考えています。

これは、蘇生ガイドラインの大元になっている国際蘇生コンセンサス CoSTR の変遷をみても傾向として読み取れます。

日本では反映されませんでしたが、2020年のガイドライン改定で米国では溺水の救護は人工呼吸を先にする手順に戻され、2024年のガイドライン部分改定でそれが補強されました。またヨーロッパのERC蘇生ガイドラインでは昔から子どもの蘇生手順は人工呼吸5回が先です。

なにも外国のガイドラインに従う必要はありませんが、せめて、医療従事者や子どもと関わる専門職、子育てをする立場の人に対しては、大人と子どもの蘇生を区別するという日本の指針くらいはしっかり周知したいところです。

 

どこかの誰かに教わった通りやったのに助けられなかった。実はそれが間違っていたと後から知った。

そんな悲劇が起きてほしくない。

これが BLS横浜 が情報を発信し続ける理由です。

子どもを救う“ひと息”が減っている!?~コロナ禍で蘇生時の人工呼吸が敬遠、小児の救命に影響~ - 国立大学法人 岡山大学
岡山大学の公式サイト。
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