プール事故の備え AEDだけで人工呼吸器具がなかったケース【消防学校】

先月公開された 消防学校でのプール事故報告書(PDF) から、心肺蘇生法の観点で気になった点をピックアップして取り上げます。

福岡市消防学校訓練中の事故を踏まえた調査検討委員会報告書

消防学校 水難救助訓練中に起きた死亡事故

平成6年7月に起きたプールでの溺水事故。発生場所は市民プールでしたが、消防学校で初任教育訓練中の事故で、消防職員が溺水で心肺停止、救命処置が行われたものの8日後に亡くなりました。

死因は「溺水による低酸素脳症」とされています。

プールサイドにAEDはあったが、バッグバルブマスク(人工呼吸吸具)は用意していなかった

この事故で着目したのは、プールサイドに「AED、小浮環、レスキューチューブ、ロープ(30mを5本)」を準備していたのに、人工呼吸用のバッグバルブマスクは備えていなかったという点です。

「プールサイドに準備していたAEDのパッドを装着し16時12分に解析したがショック不要であった。その後、直近に駐車していた消防車両配備のバックバルブマスクを使用して心肺蘇生を継続し、16時19分に現場に到着した救急隊に引き継いだ。」  同報告書 p.13

溺水想定、であったはずです。

なのに、なぜ AED を備えつつも人工呼吸の道具がなかったのか?

一般論として、溺水からの心停止は呼吸原性心停止を疑います。つまり低酸素による徐脈性の無脈性電気活動(PEA)からの心静止です。

溺水からの心停止の機序:低酸素性無脈性電気活動からの心静止

一般的な成人心停止で想定される心原性心停止(心室細動)ではありません。

AEDがあれば溺水事故であっても装着するべきではありますが、ショック(除細動)は不要です、と AED が判定するのは想定内ですし、ある意味、当然の流れ。

消防学校の指導者で水難救助指導にあたる立場の人からしたら知らないわけがありません。

レスキューチューブ等の溺水対応の器具を準備しながらも、バッグバルブマスクがなくAEDのみ、という整合性のなさが不思議でなりません。

バッグバルブマスク人工呼吸器

水泳は、運動負荷の大きな全身運動ですので、心臓に負担がかかって心室細動が発生するリスクは否定しません。

プールサイドにAEDを備えているべきですし、心停止となればまずはAEDを装着という優先順位は正しいと思います。

しかし、水難救助を教えるプロフェッショナルが、溺水を想定した人工呼吸器具を現場に備えていなかったことは看過できません。

人間はどれくらい息を止めていられるのか? 溺水で気を失った人はすでに体中の酸素を使い果たしているわけですから、1分でも1秒でも早く息をさせてあげたい。

であれば、プールの外の消防車までバッグマスクを取りに行くのがいかに生存の可能性を下げるものか、素人考えでもわかりそうなものです。

国際的に見直されている溺水救護 欧米は人工呼吸が先のA-B-Cに

蘇生ガイドラインの骨格となる蘇生の国際コンセンサスでも、2020年以降、溺水における人工呼吸の必要性を打ち出しています。2025年のガイドライン改定でも溺水救護は大きなテーマとなっています。

米国では2020年の蘇生ガイドライン改定で、溺水救護は人工呼吸を先に実施(つまりA-B-C順)するようになりましたし、ヨーロッパでは昔も今も溺水救護は胸骨圧迫より人工呼吸が先で、5回の人工呼吸後に胸骨圧迫開始です。

国際的な蘇生科学の常識に立脚すれば、プールサイドに AED を用意しておきながら、人工呼吸をすぐに開始できる状況でなかったことは過失であると言われてもおかしくない状況と考えます。

 

しかし、この事故報告書では、

 バックバルブマスクの持参に要した時間が学生Aにどのような影響を与えたかについては判断することは困難であった。
 しかし、事故発生時に使用する可能性のある資機材については、可能な限り迅速に使用できる場所に配備しておくべきであった。 p.14

としており、問題を真正面からは見据えないお茶を濁したような短い言葉。誰もが知りたい、もっとも検証するべきところが軽く流されているような印象です。あえて焦点化を避けたような…

調査検討委員会のメンバーを見てみると、日本赤十字社の赤十字水上安全法講師が1名入っている他は、蘇生科学的な見地での専門家はいません。

大学教員が2名含まれますが、教授(体育学士)と講師(工学修士)ともに、スポーツ分野では業績があっても蘇生科学の専門家ではなさそうです。

唯一の医師も整形外科開業医です。溺水事故や蘇生科学の専門性があるのかは疑問です。

プール事故で備えるべきは人工呼吸器具とその使用訓練

4月から6月、学校や保育園から救命講習の依頼が増える時期です。

プール授業前に備えてということなのですが、プールでの事故を考えたら、まっさきに疑うのは溺水、つまり低酸素。

AEDでは救えないタイプの心停止(PEA→心静止)

繰り返しになりますが、この場合、人工呼吸が救命の最大のポイントになります。

救急車が来てから人工呼吸を始めたとしても、その間の呼吸停止状態が10分もあったとしたら、救命できる可能性は絶望的です。

溺水からの救護はいかに早く事項呼吸を開始できるか?

ですから、プール授業前の救命講習はAED講習ではなく、人工呼吸講習であるべきです。そして人工呼吸をすぐに開始できるようにプールサイドに感染防護具を備えておくこと。

人工呼吸は難しい。

それは否定しません。

しかし、本気で助けたいのであれば「しっかり練習してできるようになりましょう!」であって、「難しいからしなくていい」というのは、救命法を教える態度としても学ぶ態度としても倫理的に正しいとは思えません。

なぜ研修を受けるのか? できないことをできるようにするためですよね。

溺水事故の救急対応を心臓突然死対応と混同すると、誰も幸せにはなりません。

 


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