救命講習を受けても「できる」ようにはならない その理由

学校教職員に救命処置トレーニングの話をすると、「毎年救命講習を受けているので大丈夫です!」と自信満々に言われることがあります。

救命講習を受ければ、心肺蘇生ができるようになるのでしょうか?

残念ながら、答えは否です

これは教材設計の観点で説明ができます。

BLS・救命講習の場面:AED装着のためにマネキンの服を切る

救命講習のゴール設定は?

研修プログラムを企画するときには、まずゴールを設定します。

そのゴールに到達するように中身を組み立てていくわけです。

そしてそのゴールに到達したかを評価・判定する試験を実施し、必要ならゴールに達するまで練習を追加したり矯正を行います。

さて、世の中の一般的な心肺蘇生法研修のゴールはどこに設定されているでしょうか?

実際の講習風景を思い出してもらえばわかると思いますが、
 
「床に仰向けに置かれたマネキン相手に、決められた手順で所作をこなせること」
 
です。

最近は実技試験は実施しない研修が増えています。仮に試験を行ったとしても、そこで指導員が確認できたことは、

 

反応なし・呼吸なしであることがわかっている人形に対して、肩をたたき呼びかけて、5−10秒間胸を見たあと、胸骨を押して、呼気を吹き込んだ。

その結果、マネキンの胸部が5cm沈んで、呼気吹き込みにより胸が上がった。

 

ということに過ぎません。

このことをもって、「心肺蘇生法ができる」ようになった、と言っていいのでしょうか?

同じことを、生きているかどうかもわからない人間相手に現場でできるでしょうか?

講習会場と現場のギャップを埋める

研修でできることと、現場で実際にできることは違う。

そんなことを言ったら身も蓋もないと言われるかもしれません。

指導に当たる人は、そんなことはわかった上で教えているのかも知れませんが、当の受講者はどう感じているでしょうか?

 

「救命講習を受けているから大丈夫です!」

冒頭のような学校の先生とのやり取りを考えると、決して看過はできません。

研修目標の段階・階層

教育工学の世界では、研修プログラムの目標設定とその評価方法は4段階にわけられると言われています。

カークパトリックの4段階評価モデル

研修の良し悪しの判断を受講者の満足度(つまり主観)で判断するのがレベル1。この場合、その研修が効果があったのかどうかはわかりません。

受講者がゴールに達成したかどうかを筆記試験や実技試験できちんと図りましょうというのが、レベル2。

次のレベル3というのが実践として「現場で出来る」ことまで保証しましょうという段階です。

どんな救命講習も、このレベル3を目指しているはずなのですが、その教育内容を見る限りはレベル2止まりであるという点を自覚する必要があります。

このレベル2とレベル3のギャップは大きく、歴然とした溝として深く横たわっているのです。

このギャップをどう埋めるか?

ときどき報道で目にする「研修を受けていたけど出来なかった」というニュースを見ると、講習の限界とか、仕方ない、で諦めるのではなく真剣に考えなくてはいけないところではないでしょうか。

 

安全な講習会場 VS. 状況が予測できない実際の現場


必ず心停止しているマネキン VS. 状態がわからない生身の人間

 

講習と現場は違うわけですから、いくら講習でできるようになっても、それだけでは決定的に足りないものがあるのです。

通常の心肺蘇生講習に足りないもの ー事故報告書の提言

そこで何が必要かというと、例えば、2018年に「給食中倒れ生徒死亡、元校長ら書類送検 業過致死の疑い」という報道がありました。

 

給食中倒れ生徒死亡、元校長ら書類送検 業過致死の疑い:朝日新聞記事

 

床に倒れて頭から血を流していた意識不明の生徒に対して、駆けつけた養護教諭らが的確な応急措置をせずに死亡させた、という事故です。

給食中に喉にものを詰まらせて意識を失って倒れて、その際にあごのあたりから流血が見られたという経緯だったのですが、後から到着した養護教諭は出血に気を取られて、反応がなかったのに応急処置の基本である呼吸確認をしませんでした。そこで窒息にも気づけず助けることができなかったというケースです。

大分県教育委員会:南石垣支援学校事故報告書

本ケースからは、学べる点が多々あるので、ぜひ大分県教育委員会が出している 大分県立南石垣支援学校における事故調査報告書(令和元年7月)をご覧頂きたいのですが、今回特に取り上げたいのは【7 提言 [PDFファイル/3.02MB]】の p.77 にある下記の記載です。

 

事故を教訓として、今後なすべきこと

(中略)
これまでは傷病者が仰向けの体勢であることを前提として研修を実施しているが、うつ伏せに倒れている場合、出血をしていた場合など、傷病者の様々な体勢にに対応できるような内容も必要である。

 

つまり、「理想的な条件下で規定の所作を繰り返す練習」だけでは、現場対応するには不十分である、と指摘されているのです。

また、この記述の前には、119番通報が現場からではなく事務所経由で行われたため、消防側でも状況把握ができずに、的確な口頭指導ができなかったことも問題視されています。

119番は救命の連鎖の中でももっとも効果が高いと言われている部分です。一般的な救命講習では、「あなた119番!」の一言で終わってしまうところも、現実の対応を考えたらトレーニング内容も見直さなければいけない部分です。

さらには、学校などの救急対応はたった一人で行うことはありません。いかに他の職員や消防などと連携するか、役割分担を明確にし、判断するリーダーの存在があり、意思決定と共同を前提に行動するトレーニングが必要で、これこそが現場で動けないことの大きな要因となります。

一般的な心肺蘇生法研修は基本は1人法BLSしか扱いません。強いて言えば、AEDを持ってきてくれる人、ということで二人法までは扱いますが、それ以上の連携こそがもっとも難しく、訓練が必要な部分と言えます。

心肺蘇生法トレーニングは、避難訓練と同じです。

現場を想定し、実際の動きをシミュレートしなければ、実践では使えないのはあたりまえの話というのは、すこし考えてみればわかるはずです。

パニックに対応するトレーニング

蘇生ガイドライン2010の時代に指摘されていた点ですが、救命処置に関してうまく対応できなかった要因として最大のものが「パニックになった」というものでした。

そこで当時のガイドラインでは、パニックに対応するためのトレーニングを追加することが必要であるという提言がされていました。

これはシミュレーションの中で、それまでの練習とは違うシチュエーションを少しでも盛り込めば簡単にトレーニングできます。
 

  • マネキンに脱がせにくい服、もしくは何枚もの服を着せておく
  • AEDが「ショックは不要です」という
  • 人工呼吸の空気が入らない(マネキンに細工をしておく)
  • AEDの解析のタイミングで第三救助者を投入して音声に集中できない状況を作る、など

 
傷病者発見から胸骨圧迫開始判断までを、マネキンではなく人間の演技でやってみるだけでも、ずいぶん違います。

うつ伏せである、意識はないけど呼吸はしている、など。

非医療者にそこまで求めるのは酷じゃないか、という意見

こういう提言をすると、「そこまで一般市民に求めるのは酷だ、非現実的だ」という指摘をよくいただきます。こういった声は医療の専門家である医師や救急救命士などからも聞かれます。

しかし、研修というものは、できないことをできるようにするためにあるものであることを忘れてはいけません。

現場で実践できるようになるために研修を行うわけです。現場ありきであり、マネキン相手に決められた動作をすることが目的ではありません。

研修はゴールから逆算して設計していきます。

おそらく現状の形骸化した心肺蘇生法講習を基準に考えるから、難易度が高すぎるという見方になると思うのですが、そもそも現在の救命講習の設計自体が適切だったのか、ということに立ち返って考えてみる必要があるでしょう。

これは、現状の講習を否定するものではありません。

テニスや剣道のトレーニングと同じで、最初は素振り練習も必要でしょう。

しかし素振りだけで試合に出られるわけではありません。いくつかのステップを経て、対戦練習、そして試合へと大成されていくわけです。

現状の救命講習は、おそらく素振り+α程度の位置づけになっています。

その先のトレーニングが必要ということです。

基礎中の基礎だけで終わっていいのですか? その先、現場実践までのギャップはどこでどう埋めたら良いのですか?

そのサジェスチョンを持って終わらないと、冒頭のような「救命講習を毎年受けているから大丈夫です」という危険な勘違いを生んでしまいます。

ここは救命法指導員の責任でしょう。

現場でできるようになるために必要なもの、それは学校事故の検証報告書や教育工学を紐解けば、見えてきます。

ここを正しく理解し、受講者に勘違いさせないような教育スタンスを持ちたいものです。

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