心肺蘇生法講習 指導に「厳しさ」は必要か?

今日の話題は、救命講習に厳しさが必要か、という点です。

2000年に蘇生法の国際基準ができる前までは、「そんなのじゃ助けられませんよ! 殺す気ですか?」みたいな恫喝的な厳しい指導が珍しくありませんでした。

その後、心肺蘇生法手順の簡略化、教育指導の合理化、ポジティブな指導ということが言われるようになって、昨今では「楽しく学びましょう」というスタンスが主流となっています。

厳しさとはなにか?

さて、話を始める前に、まずは「厳しさ」という言葉の意味を整理しておきましょう。

恫喝と厳しさは違います。

威圧的である、受講者が追い詰められたと感じるような声掛けは、厳しい指導というよりは恫喝です。

人を過度に萎縮させるような指導態度は教育工学的にも望ましいものではありません。

成人学習理論からすると学習の入口である動機づけという点で完全に失敗だからです。これは「やり方」が間違っていると言えます。

一方、できていない部分を指摘されて、できるようになるまで練習をさせられた、というのも、受け取り手によっては「厳しい指導」と感じるかもしれません。

できていないことを指摘された、できるようになるまで指導された、という点をどう考えるかは指導の方法論とは別問題です。

例えば、胸骨圧迫の練習で圧迫の完全解除ができていない(もたれかかってしまう)場合、どこまで指導するか? という例で考えてみます。

質の高い胸骨圧迫の要素:胸壁の戻り

リコイル(胸壁の戻り)が、なかなかできない方という方は珍しくありません。特に力・体重のある男性に多い傾向です。

「強く速く押す」こととのトレードオフの関係にある部分なので、戻りを強調すると浅くなってしまう傾向も出てきます。

受講者としても、圧迫の速さをキープしながら胸壁を元の位置まで戻すというのは難しいようで、声掛けをしてもなかなか改善されないケースは多いです。

その場合、どこまで踏み込んで指導していますか?

リコイルができない受講者をどこまで指導するか?

強く押せているし、テンポもいいから、まあ、こんなもんでいいか、とリコイルについてはあまり踏み込んだ指導をしない場合が多いのではないかと思います。

しかし、後述するようにリコイルは、自己心拍再開(ROSC)に直結する極めて重要なポイントです。

そこを甘く見るということは、助かる可能性が下がるのを承知の上で、ヨシとしていることになります。

一方、なにが何でも助けたい! という気概を持って受講に来ている人であれば、このリコイルを含めて「ちゃんとできる」ような指導を望んでいるでしょうし、そう指導するべきでしょう。

できるようになるまできちんと指導するか、ある程度でよしと妥協するか?

これが、厳しいか厳しくないかの違いにもつながってきます。

つまり、厳しくない指導というのは、「しっかりとできる」までの指導をしていないのかもしれません。

講習のゴールはどこ?

そこで出てくるのは、どこまでの指導をするべきか? ゴールはどこなのか? という問題です。

これは受講生の立場や受講動機によって違ってきます。

今まで救命法を知らなかった人が、「自分でもできることがあるかも」と思い立って救命講習の門を叩いたのであれば、正しく正確にできることより、一歩踏み出す気持ちを後押しすることが講習の目的になります。

片や、医療従事者や介護福祉職員、学校教職員、保育士などは、業務中に現場で起きた事故については救護義務を負っているわけですから、一歩踏み出す勇気、ではなく、ある程度「ちゃんとできる」ことが講習のゴールになります。

きちんとできなくてはいけない人たち

医療従事者や福祉職員、学校教職員やスポーツ指導者など業務対応で救命処置を行う人たちは、救護義務を負っており、事後の説明責任があります。そのため、医療従事者ほどではないにしても、ある程度きちんとできるようになるまでトレーニングを積む必要があります。

これらの人たちは「自分には無理! 今後なにかあっても手出しはしない」と言える選択肢はないわけですから、多少は指導が厳しいと思ってもそれを乗り越える必要があります。

受講者のやる気をそぐような無理な指導、圧迫感のある指導は望ましくありません。それは事実ですが、一般市民向け講習で許されるような「ゆるさ」がふさわしくないのも事実です。

身近で客観的なゴールを設定する 実技試験の意味

指導の厳しさと「意地悪さ」は違うわけですが、そこを勘違いさせないための手段・ツールが、例えばチェックリストに基づいた実技試験の実施です。

どうしても胸壁の戻り(リコイル)ができない受講生から、どうしてダメなの? もういいじゃん、と言われたときに、明文化されたゴールを示すことで、インストラクターの主観で意地悪をしているわけではないという点を説明できます。

できていない、という事実があって、それができないと合格を出せないという身近な現実。

どうしてもできない場合、講習自体は終わらせても、修了とならない、合格とならない。

できていないのにできるようになったと勘違いさせることは「指導員倫理」として避けたいものです。

不合格の弊害 モチベーション低下

不合格となることで、モチベーションが下がるという側面はあります。「私には無理だ、何かあっても絶対に手出しなんてしない!」という気持ちになることは想像に難くありません。

だから、一般市民向け講習のほとんどは「実技試験」を行わないのです。

逆説的にいうと、実技試験を行わない救命講習は「一歩踏み出す勇気」がゴールであって、CPRがきちんとできるようになることまでは保証していません。できる受講者には質を求めた指導も行いますが、それは絶対条件ではなく、オプション的なもの。

不合格の効用 課題の抽出

逆に業務対応のような救護責務がある人向けの救命講習は、実技試験が必須とも言えます。

ちゃんとできることを目標とするわけですから、具体的に何ができたらゴールとするのかを示す客観化された実技試験が必要です。

試験に通らない場合、受講者は「自己の課題が明確になった」とも言えます。したがって、その次にくるのは「ちゃんどできるようにもっと練習しよう!」です。

救護責務がある人は「できない! 無理! 手出ししない!」という選択肢が社会的にありえないわけですから、やるしかないのです。

そしてインストラクター側としては不合格で終わりにするのではなく、合格できるレベルになるまで支援を続ける必要があります。つまり追加練習の機会と再試験の提供です。

インストラクター側の目線で言えば、受講者がゴールにたどり着けなかった場合は、インストラクターの指導不足が露呈したと考えます。試験とは指導員の教え漏らしのチェック、指導不足の確認のために行っているわけです。

ちゃんとできるようになるような指導をすること、必要であればやり方を変えたり、時間を調整するなどして、指導に責任を持つのがプロのインストラクターです。

まとめ

  • 実技試験がない救命講習は、質よりも一歩踏み出す勇気にフォーカスされたものなので、厳しいと思われる指導はご法度。
  • 責任が問われる人向けの救命講習では、質を意識した指導を行う。合格基準に達するまでの責任を持った指導が必要で、場合によってはそれは厳しさにもなる。
  • 実技試験のない救命講習は技術保証がないと言える。業務プロバイダー向けではない。
  • 救命講習を選ぶ際、市民向け普及啓蒙講習なのか、業務用の技術トレーニングなのかを考え、選択する必要がある。

 

おまけ:リコイルの大切さ

最後に今回、例に出した「胸壁の戻り(リコイル)」について補足説明します。

質の高い胸骨圧迫のポイントは以下の4つで、どんな救命講習も基本的にはこれらを達成できるような指導をしているはずです。

  • 強く(少なくとも5cm)
  • 速く(100~120回/分)
  • しっかり戻す(もたれかからない)
  • 絶え間なく(中断は10秒以内)

市民向け救命講習ではあまり強調されいていないのが現実かもしれませんが、この中でも「しっかり戻す」というのは極めて重要なポイントです。

しっかり戻す、というのは英語でリコイル(ricoil)といいますが、コイル(バネ)を押したときに元の状態に戻ることを意味しています。つまり胸を押したら元の高さまで完全に戻すように力を抜いてください、という意味です。

胸骨圧迫の目的は、停まった心臓の代わりに心臓に圧力をかけて血液の流れを作ることにあります。

さらに言えば、血流を生み出して心臓の外側を走行している「冠動脈」へ血液を送り込み、心筋細胞に対して酸素や栄養素を送り込むことが目的です。これが自己心拍再開(ROSC)に繋がります。

つまり胸骨圧迫というのは、弱っている心臓の細胞に酸素を送り込んで心臓という組織の活性化を図っている行為と言えます。

端的に言えば冠動脈の血流が心拍再開を左右するわけですが、冠動脈に血液が流れ込むタイミングは「胸骨圧迫の解除をしたとき」です。

胸を押しているときは心臓が押しつぶされていますから、冠動脈も押しつぶされていて血流は入っていきません。

圧迫を解除したときに、冠動脈が開いて血液が流れ込んでいく。だから、胸骨圧迫でもたれかかったままだと冠動脈に血流が行きませんから、いつまで経っても心臓は元気さを取り戻さない、心拍再開しないのです。

だから、もたれかかるな! 圧迫の完全解除を! と言っているわけです。

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