応急処置と医療行為と法律

先日、北米で発達した野外救急法講習ウィルダネス・ファーストエイドの危険性について取り上げました。

病院搬送するのに何日もかかるようなウィルダネス環境下(たとえば山奥など)では通常の救急法ではカバーできない部分があり、ウィルダネス・ファーストエイド講習では、医療行為に含まれる高度な処置をも教える場合があります。

脱臼の整復や内服薬の投与、さらには注射まで含むことがあり、これはら医師以外は行えない医療行為です。

アメリカでは医療機関に搬送困難なウィルダネス環境下では、医師免許を持たない人でも、そういった高度なファーストエイド処置が提供できるようですが、当然日本国内では認められていません。

命にかかわる事態であれば、法律違反を覚悟の上で実施するという判断も、自己責任が常識の登山の世界ではありかもしれませんが、その行為の重さがウィルダネス・ファーストエイド受講者になかなか伝わっていないというのが問題となっています。

それに関連して、救急法と法律に関して考える上でよい事例がありましたので、ご紹介したいと思います。


『休日に業務外で救命行為をした消防指令を処分、退職』

2011年6月2日/朝日新聞

茨城県石岡市消防本部は5月31日、休日に自分の業務ではない救急救命行為をしたとして、救急救命士で石岡消防署の男性消防司令(54)を停職6カ月の懲戒処分にした。消防司令は即日、辞表を提出し受理された。このほか、監督責任を問い、消防長ら上司5人を訓告処分にした。

同消防本部によると、消防司令は4月14日午後0時半ごろ、静岡県内の東名高速道路で自家用車を運転中、追突事故に遭遇。医師の指示を受けないまま、不当に所持していた同消防本部の医薬品を使い、けがをした運転手に静脈路を確保するための救命処置を行ったという。

本人からの申し出や、静岡の消防本部からの報告で発覚した。消防司令は「法律(救急救命士法)に触れることはわかっていたが、助けたい一心でやってしまった。(石岡市消防本部の医薬品は)東日本大震災の後、もしもの時のために持っていた」と話したという。(http://www.asahi.com/health/news/TKY201106020255.html)


最近、報道されたこの事例は、交通事故、「胸が痛い」と訴えているハンドルで胸を打った可能性がある男性に対して、たまたま通りかかった非番の救急救命士が注射針をさして点滴(静脈路確保)をしたというもの。(参考:http://www.j-cast.com/2011/06/01097286.html

この行為には様々な問題がはらんでいますが、いま問題にしたい最大のポイントは、「救急救命士が生きた人間に針を刺すことは法律で許されていない」という点です。

救急救命士は静脈路確保のために注射針を刺すことはできますが、それは心臓が止まった人間に対してのみ。今回のケースでは「胸が痛い」というだけで心停止ではありませんでしたので、この時点で違法行為です。

当該救命士が当時非番であったり、無断で職場の点滴器具を持ち出していたなどの問題もありますが、それらは抜きにして、そもそも救急救命士には許されていない医療処置を行ってしまったのです。

その結果、地方公務員法違反(信用失墜行為)ということで停職6ヶ月の処分となりました。しかし、他にも、医師法違反、救急救命士法違反で免許剥奪、また傷害罪などにも問われる可能性が考えられますので、処分としては軽いものであったと言えるかもしれません。

このことから言えるのは救急救命士という救命のプロが必要と判断して行ったことであっても、法律で許された範囲外の行為は違法であり、処分が下されるという事実。

命を救うためといっても違法は違法。それが法治国家における法律というものです。

ウィルダネス・ファーストエイドでは、命を救うためにはやむを得ない場合のみ行うという位置づけで一部の医療行為を学びますが、それを実践で使うときには法律を犯すという自覚、また社会的地位を失うということを考える必要があります。

いくらアメリカ合衆国で公認されているライセンスを取得しても日本ではなんの免罪符にもなりません。

とはいえ、野外環境下での特殊な救急法を学ぶことは否定はしているわけではありません。

大自然と対峙したとき法律などは人間が作ったちっぽけなもので、命の重さに比べれば取るに足らないものといえる瞬間があるかもしれません。

しかしそれは最終手段、奥の手であり、日常生活で使うものでは決してないわけです。

問題の救急救命士が、なぜ結果的には必要もなかった静脈路確保をしてしまったのかというと、真実はわかりませんが、少なくとも職場から無断で持ち出した「輸液セット」が手元にあったから、というのは事実だと思います。

持っているから使いたくなる。

それは人間の心理として想像に難くありません。

ウィルダネス・ファーストエイドの知識と技術に関しても同じことが言えます。

知っているからやってみたくなる。そんな衝動はきっと受講者誰もの心の中に潜んでいるに違いありません。

だからこそ、ウィルダネス・ファーストエイドの中に含まれる医療行為についてはセンシティブになって慎重に扱い、教える側も細心の注意をもって指導していく必要があります。

またアメリカの講習プログラムではありますが、開催するのが日本国内で主に日本で使うことを想定している受講者が大半であるなら、日本の法律と日本の周辺事情を加味して、自己責任として正しく判断できるだけの情報提供がなければなりません。

そうしてアメリカではなく日本国内としての倫理観を身につける付加教育がなければ、諸刃の剣としてウィルダネス・ファーストエイドは危険なものと成り下がってしまいます。

ある人は、日本で開催されているウィルダネス・ファーストエイド講習を「大人のお医者さんゴッコ」と表現しました。受講者に勘違いが生じてしまっている現状を考えると、そのとおりだと思います。「大人のお医者さんゴッコ」が社会問題とならないためにも、受講者は高い倫理観を持っている必要があります。

人里はなれた野外環境で活動する人間にとっては、必要不可欠とも思える有用な技術・知識ですから、分別をわきまえた大人が分別を持って学び、健全に日本に根付いてくれることを願っています。

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